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きれいごと

アメリカが911テロに襲われた時、多くのアメリカ人がなぜアラブの国から自分たちが恨まれてしまっているかわからなかったとどこかで読んだ。
嘘でしょうと思った。アメリカでの有色人種に対する差別は日本人の私だって知っているのに、と。でもそうじゃないんだよね。

足を踏んだ側は忘れても、踏まれた側はその痛みを忘れることはなかなかできない。
忘れるのではなく、許すことが必要になる。アメリカの人たちは911で自分たちが気づかずに踏みつけていたものに直面したのじゃないか。

だからブッシュ大統領がテロを許さないとアフガンを空爆しイラク戦争を開始した時、イラク反戦の声がアメリカ国内から起こったんじゃないのかな。
イラクに参戦した兵士の多くがベトナム戦争の時のようにボロボロになって、それでも戦争をやめない自分の国にNoを言ったんじゃないのかな。

わたしはそういうアメリカの人たちを尊敬する。
自分のいる国、街、場所で誤ったことが起きていると感じたら、それをただそうとする態度を尊敬する。
原発についてはまだまだ賛否があるとしても、わたしは金曜日に官邸前に集まって声をあげた人たち、今夜大飯の現地で声をあげている人たちを尊敬する。

それはわたし個人の想いだから誰にも強制はできないし、逆に誰からも頭ごなしには否定されるものじゃないと思ってる。
いろんな考え方を知っていずれまた意見が変わるかもしれないし、よりよいものならぜひ変わっていきたいし。
私に足を踏まれた人のことに気づいていきたいだけ。

暴力はそれとしてふるう時と、自分では気づかぬうちに誰かにふるってしまっている時がある。お互いに気づき合えたら話し合いができるのにと思う。
人には言葉も理性もあるはず。
綺麗ごと。
でも、綺麗ごとを現実にできないなんてこともない。
て、思いたい。

原発を止めることは命を守るという、このうえない「綺麗ごと」だと私は思ってる。
止めるために人が考えられる限りのことをこれからかんがえなくちゃならない。
醜い核のゴミを抱えながら美しく生きられる世界なんて矛盾しているかもしれないけれど。

by jellyfish222 | 2012-07-01 23:57 | 雑感