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ふるさとということ

わたしにはふるさと、という感覚がうすい。
生まれも育ちもここ愛知だし、半年間ほどを除いて愛知以外で暮らしたこともない
ので、よほど離れがたいのか、と自問すれば、そうでもなく。

でも今、福島原発事故による放射能被害で避難を余儀なくされている人たちのことを
考えていて両親のふるさとのことを思い出している。

ふたりは熊本県芦北の出身。
そこは水俣市に近い。車で2時間くらいのところ(数年前行ったとき運転した記憶)
水俣は不知火海に面し、向かいは天草諸島。

自分のルーツはあのあたりなんだろうな、と思うが、旅行で二回、両親の実家も二回しか行ったことがない。

最近再読している本、『苦海浄土』
石牟礼道子さんのこの本により水俣病のことが広く知られるようになった。
原因不明の病の発症。
生まれたときから脳性まひのこどもたち。
家族にその病を患うものがあることで、昨日とは違うふるさとの空気の中で生
きることを強いられたひとたち。
当初は伝染病と言われ、たぶん村の付合いさえしてもらえなくなっただろう。

福島から避難したひとたちが避難先でつらい思いをしていると聞く。
心ない風評。


そして、
政府は、福島第一原発から半径20キロ圏内の避難指示区域を、22日午前0時から、法的に立ち入り禁止にできる警戒区域に指定すると発表したという。

警戒区域内に自宅がある60代の男性が、「最後だろうから妻に自宅を一目見させてあげたい」と話していた。
原発事故直後、防護服を着た地元のおまわりさんたちが一軒一軒避難を勧めて廻っていた。
「どうなってもいい、うちにいたい」そう言っていた老夫婦は避難したのだろうか。


二度と戻れない、
二度と見ることはない、

自分の生まれた町、育った町、暮らしてきた町

ふるさと。

そこへ戻れないひとたちに第二のふるさとができたとしても、それはけしてはじめのふるさとと同じではない。

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熊本の祖父母の家の縁側にて。

by jellyfish222 | 2011-04-22 20:51 | 雑感